桐生織物協同組合の歴史

 桐生産地組合は1878年桐生会社に始まり、組成濫造防止と染色技術向上を目的に活動てきたが、明治26年同業組合準則により桐生商工業組合を設立し、桐生物産会社を合併し、織物業、買継商、生糸商、撚糸商等織物関連業種を網羅した。
 
 その後、昭和の経済恐慌により、同業組合に無力感を感じ始め、暫時商工組合が結成されたが、大東亜戦争により衰退し、昭和17年に各工業組合が解散統合されて桐生織物工業組合を設立、しかし戦時下の統制に伴って、県下の各織物工業組合は打って一丸となり、県内を地区とする群馬県織物工業統制組合を設立し、桐生織物工業組合はその支部となって国策に協力してきた。

 そして、終戦後、再び産地ごとに組合を分立、昭和21年桐生織物工業統制組合を結成し、新商工組合法施行に合わせ桐生織物工業施設組合を設立した。 その後桐生織物工業施設組合は22年同法の施行により桐生織物工業協同組合と名称変更して、協同組合の第一歩を踏み出した。工業協同組合は中小企業等協同組合法の施行(昭和24年)によって定款を変更し、桐生織物協同組合と名称変更をしたのである。
 
 その後、先に誕生した桐生織物同業組合(昭和24年設立)は解散したが、解散後40前後の協同組合が設立され、有力な桐生帯地(協)と桐生着尺(協)が発展的解散を行い、桐生織物協同組合に加入合同し戦後初めて産地一本化した織物組合が実現した。しかし3年後再び分裂し、桐生内地織物協同組合が設立され、二分されたのである。
 
 昭和45年に全桐生織物一本化研究会を設立して、昭和61年の一本化に向けて動き始め、昭和62年この2組合と桐生服地協同組合が大同団結し現在の組合に至っている。